2008年9月7日


SPDの支持率低下の原因の1つとなっていたクルト・ベック党首が本日辞任しました。

後任は、ミュンテフェリング氏、来年の連邦議会選挙のSPD側首相候補はシュタインマイヤー外務大臣が有力です。

SPDの支持率は路線闘争のために30%を割っていました。この辞任の背景について、今年3月に書いた記事を再録いたします。

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社民党は左旋回するべきか?

来年ドイツは連邦議会選挙を控えているが、メルケル政権の一翼をになう社会民主党(SPD)で、激しい内部抗争が起きている。

そのきっかけを作ったのは、SPDのクルト・ベック党首である。今年行われたヘッセン州議会の選挙では、SPDが勝利を収めたが、単独で政権を作れるだけの得票率は確保できなかったので、他党と連立しなくてはならない。

ベック党首は、ユプシランティ候補が連立政権を作る際に、必要ならば左派政党リンクスパルタイと協力してもよいと発言したのだ。つまり、SPDが社会主義者と手を組み、急激に左旋回することを容認したのだ。

この発言は、SPDの保守派だけでなく、中央政界でSPDと大連立政権を組んでいるメルケル首相にとっても、驚きだった。

今回ヘッセンだけでなく、ニーダーザクセンとハンブルクでも初の州議会入りを果たしたリンクスパルタイの母体は、統一前の東ドイツで独裁的な権力を握っていた、ドイツ社会主義統一党(SED)の後身、社会主義民主党(PDS)。旧東ドイツでは30%の支持率を持っているが、最近は旧西ドイツでも社会保障の削減などに不満を持つ人の支持を急速に集め、10%近い有権者が共感を持っている。

特に、シュレーダー政権の保守的な政策を批判して、SPDを脱党したオスカー・ラフォンテーヌら左派政治家が加わったことで、リンクスパルタイの人気はがぜん高まった。

逆にSPDに対する支持率は、ジリ貧傾向にある。このため、ベック党首はハルツIVに象徴される、シュレーダー前首相の「弱者切り捨て路線」に背を向け始めている。

彼が旧西ドイツでも左派政党との連立を容認したのは、庶民の意識が左傾化する中、SPDも政策を修正しなければ、来年の選挙で惨敗する恐れがあるという危機感を持っているからだ。そのためには、ミュンテフェリングのような大物を切り捨てることも、辞さなかった。

私はまだシュレーダー氏が首相だった頃、連邦首相府で開かれた懇談会でシュレーダー氏と話をしたことがあるが、「伝統的なSPDの政治家というよりは、企業の社長みたいな人だなあ」という印象を持った。実際彼が実行した法人税の引き下げ、社会保障サービスの削減によって、市民の負担は増えたが、企業の業績は大幅に改善しつつある。

「ドイツ病」を治して国際競争力を高めることを目的とした彼の政策は、財界からは大歓迎されたが、労働組合など、伝統的なSPDの支持基盤からは総スカンを食った。

ベック党首がSPDのトップとなった今、シュレーダー時代に大きく右に寄っていた振り子が、左に大きく振れようとしているのだ。

だがリンクスパルタイとの協力を、すんなりと受け入れられない人も多い。1946年に、ソ連が占領していたベルリン東部で、スターリンに操られていたドイツ共産党は、SPDを強制的に併合して、SEDを作ったからだ。

その際にSPD党員の意見は全く聞かれず、ソ連に批判的なSPD党員は追放された。この現代史の暗い1ページは、リンクスパルタイにとって、重荷である。

そうした党との協力は、SPDにとって大変デリケートな問題であり、ベック党首にとっては、慎重な舵取りが必要だろう。